哲学のお椀 第21椀 「環世界」と「構造応答の哲学」


日常の気になるテーマをゆるやかに「哲学」ととらえてお椀に乗せる、『哲学のお椀』。略して『哲椀』。

第19椀、第20椀と続けてテーマにしてきた「構造の哲学」改め「構造応答の哲学」。

今回、第21椀では、この「構造応答の哲学」について、ドイツの生物学・哲学者であるヤーコプ・フォン・ユクスキュルの書『生物から見た世界』にて語られている「環世界」(Umwlt:ウムヴェルト)という概念と照らし合わせつつ、お話をしてみました。

解るようで解らない、近づくようでまた離れ行くような、「構造応答の哲学」。個々の生物が持つという「環世界」と「構造応答の哲学」はどのようにリンクするのか?

今回も身悶えつつ考えました(笑)



※編集後記(余談だけれども)
『生物から見た世界』の訳者あとがきに、以下のような記述がある。


「環世界」というユクスキュルのこの認識は、「環境」ということばが乱れ飛んでいる現在、ますます今日的な、そしてきわめて重要な意味をもつに至っている。
人々が「良い環境」というとき、それはじつは「良い環世界」のことを意味している。
環世界である以上、それは主体なしには存在しえない。それがいかなる主体にとっての環世界なのか、それがつねに問題なのである。」


今回、冒頭部で語られた、「樹木の伐採」はまさに人間にとっての良き環世界を維持するためのもの。
一方、GI(グリーンインフラ)の真のベースは生物多様性の保全がベースにある。(生き物が最重要)
自然の再生は色んな生き物にとっての環世界を整える調律作業。人間もそこにちょこんと含まれるくらい。そんな自然再生を小さな規模でも少しずつすることが本当の目的。治水とかは実は二の次なのです。
100年かけて壊してきた都心の自然を100年以上かけて修復していこうと言う、壮大な活動テーマの一環なのです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP