哲学のお椀 第16椀 「どっちもどっち論」の向こうへ


日常の気になるテーマをゆるやかに「哲学」ととらえてお椀に乗せる、『哲学のお椀』。略して『哲椀』。

パレスチナの問題については、第3椀にて触れて以来、「話したいね」とは言いつつも、なかなか重い腰が上げられずにおりました。

お互いに、映画『NO OTHER LAND』を観たこと、それを依り代に、1年以上の空隙を経て、ようやく話すことができました。

圧倒的な不均衡の可視化を妨げる「どっちもどっち論」(「それって、お互い悪いよね」という思考の袋小路)。

果たして「どっちもどっち論」を抜け出さずして、この話題を語ることはタブーなのか?

それを超克して、その先に進むにはどうすれば良いのか?

答えのない問い立てをしつつ、云々、唸りながら語りました。

僕たちは、彼の地の人々に、どのように心を向け、そして自分たちと「地続き」であるという「繋がり」を紡ぎ得るか。

これも答えのない問い立てながら、例え断続的であっても、もがく様に、考え続けたいです。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

PAGE TOP