
ごとうにんシアターポッドキャスト「哲学のお椀」(哲腕)で触れた触れなかったりした作品たち。
第14椀 「絶望」と「希望」と(ご視聴はこちらから)で紹介した作品を掲載します。
今回も、やっつけだなー。並び順も、トークで出てきた順番とはバラバラかも。いったん。
・頭木弘樹『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫)

今回のテーマ、「希望」と「絶望」の話のモチーフとなった一冊。
ゲーテとカフカ。
太陽と月、厳しさと優しさ、色んな対比ができそうな二人だけれど、その魅力をうまく照らし合わせつつ抽出して編集してくれている、なかなか、凝った趣向の作品。
カフカがゲーテを愛読していたということが、本当に面白いなと思います。
・頭木弘樹『絶望名人カフカの人生論』(新潮文庫)

・フランツ・カフカ『変身』(新潮文庫)

一度読んだと思うのだが、一体、いつ読んだのか思い出せないし、結末も忘れていた。
救われなさと、救い。
不条理の中に、同居する矛盾。
とても、不思議な作品。
こうして、「カフカ」という存在に少しずつ、接線を引いて行こうとしているけど、彼の作品は、果たしてそうやって、接線などという役割を負わされることも、するりとかわしている気がする。良い。
・齋藤美衣『庭に埋めたものは掘り起こさなければならない』(医学書院)

シリーズ「ケアをひらく」から。
目を引くタイトルと装丁、紹介文で気になっていた一冊。2024年末訪れた、奈良の書店「ほんの入り口」にて話題に挙がっていたこともあって、2025年始に手に取る。
書くことで自分の内面へと、深く潜り行き、自分と出会い直す。その過程や出会ったものと向き合い、書き留める。
どちらかは、分からない。きっと、両輪なのだろう。「書く力」と「内省する力」の両輪が相互作用しているような気がする。
著者は、自身の壮絶な重量の自己開示を通じて、読者へ語りかける。読者は「読む」ことを通じて、「その力」に「触れる」ことになる。
それは、「伝えたい」という強い想いが筆に乗っているからこそ、届くものなのかもしれない。
度々、言及されていた、「触れること/触れられること」というフレーズが、メルロ=ポンティやヴァレラの思想とも通じるようで、改めて印象に残る。著者がこの本を媒介として「読む人」に伝えようとしたのは、「書く力」と「内省する力」、更に、それにより「再生へと歩む力」なのかも知れない。そして、多分それは、誰しも持っている力なのだろう。
自分に置き換え、書き、内省することそれについて考えてみたいと思う一冊だった。
※尚、読みつつ抱いていたひとつの疑問も、巻末の「おわりに」の記述で、「嗚呼、そうか」と腑に落ちて解消された。
・ハン・ガン『すべての、白いものたちの』(河出書房新社/河出文庫)

2025年始の休みに読み終える。
2025年末に奈良の本屋さん「ほんの入り口」で求めた一冊。ノーベル文学賞受賞、というニュースは、耳にしていて、少しだけ気になっていた。棚が単行本を買い求めていて、文庫版があるなら私はそちらを、ということで、手に取ったもの。
とても綺麗な言葉で綴られた、静謐な本だった。「白いもの」に仮託された、今は「無き」、若しくは「あったはず」の存在に対する想いが込められた、幾つもの小さな文章群。その一編ずつが、緩やかな繋がりを持って紡がれつつ、大きな三部の構成に折り畳まれている。そして、その構成の持つ意味に、思わず深く息を吐(つ)く。
年始に読了する一冊目としては、とても良かった。他の作品にも触れてみたくなりました。
(棚は、他の作品もガツガツ読んでいるようだが)
・ゲーテ『ゲーテ格言集』 (新潮文庫)

・ゲーテ『ゲーテ格言集』 (新潮文庫)

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