「哲椀」レコメンドリスト 第4椀


ごとうにんシアターポッドキャスト「哲学のお椀」(哲腕)で触れた作品たち。

第4椀(ご視聴はこちらから)で紹介した作品を掲載します。

・宮崎駿『風の谷のナウシカ』(徳間書店)

言わずと知れた、巨匠、宮崎 駿の名作『風の谷のナウシカ』。その原作。

大気に毒素を放出する「腐海」と言われる森に覆われた、荒廃した未来の世界。広がりつつある腐海。それを守る巨大な蟲。そして、「巨神兵」と呼ばれる巨大な生物兵器。それらを巡り、争いを繰り広げる終末の人類。果たして、その先に光は?

生態系というものの不思議さに思想を誘います。

映画版が有名だけれども、原作はさらに深い。それこそ、「腐海」は「深い」というアナロジーを笑い飛ばせないくらいの没入感と問題意識。それをずっと色褪せずに我々に提示してくれている作品です。


・斎藤浩平『人新生の「資本論」』(集英社新書)

資本主義のコトを考える。

大人になってから、違和感を感じつつも、ずっと見て見ぬ振りして来たアレコレ。それらが、何だか色々、「資本主義」というキーワードで、頭の中で、ジワジワと線で繋がり始めるような感覚がある。

コロナ全盛の期間に発刊された本だけれども、コロナ期間だから読んだのか、売れているから読んだのか、たまたま手に取るべきタイミングだったのかは、今も分からない。

けど、沢山のひとに読んでもらいたいと思う一冊。


・中島岳史『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)

後述する『思いがけず利他』の著者の政治哲学論。

結局「リベラル保守」って何なのよ?という点には、そこまで明確に触れてない(定義付けをしてない)が、少し読み直して、改めて腹落ちしたのは、「保守」は本来的には「リベラル」なものなのだ、という事がわかる。

なので、今の世の「保守」を騙っている論の多くが本来の「保守」ではない、ということを、一貫して述べている。

「保守」というものの矜持に触れた本だった。

とは言え、我々はとかく、(「保守」だとか「リベラル」だとか、「右派」だとか「左派」だとか)言葉に踊らされる生き物だなーと。良かれ悪しかれ。でも、だからこそ、そこの定義を過つな、という話なのかも知れない。語弊による変な分断を生まないためにも。


・中島岳史 他『「利他」とは何か』(集英社新書)

Version 1.0.0

伊藤亜紗、中島岳志、若松英輔、國分功一郎、磯崎憲一郎の5人の共著。

比較的薄い新書で、各章違う著者でメリハリもあり、サラサラ読める。

5人の著者による「利他」をテーマとした共著。茫洋としたテーマだけに、オムニバス形式だと、色々な切り口に触れられて良い。

伊藤亜紗さんはデヴィット・グレーバーの『ブルシット・ジョブ』に言及し、「数量化し得ないものを数量化しようとする欲望」の悪影響について指摘していた。

(伊藤さんも自章のテーマとして触れてたけど)中島さんも「おわりに」(あとがき)で、「うつわ」と言う表現で5人の記事の共通項を表現していた。うんうん、そう、きっと、そう言うイメージ、とひとり頷きつつ本を閉じた。

「うつわ」、「器」。

「お椀」でも良い。

そう言うモノ。

モノ、というか、場。それが、大事、と思う。


・中島岳史『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)

「利他」という漠然としたものについて、色んな引用例示をしなが、定義付けをして行く試み。この引用例示がいちいち興味深い。

哲椀でも、この本で取り上げられている「文七元結」(ぶんしち もっとい)について言及している。(「文七」と「長兵衛」を間違っちゃっているのはご愛嬌w)

その他、ヒンドゥー語の「与格構文」と「中動態」の類似性とか、認知症の「幻視、幻聴」などの症状と「与格」の関係とかとか、、、面白い話が色々。


・内田樹『他者と死者: ラカンによるレヴィナス』(文春文庫)

哲椀にて「師弟関係」という文脈で触れたことが当書でも触れられている。

謎の手続きを受け入れること。受け入れることで体感できること。

それは真実としてあると思う。

著者の敬愛する、レヴィナスという思想家について、著者がライフワークとしてまとめた三部作。そのうちの2冊目。読みやすい文章で鳴らす内田作品に於いては、異色の硬度を放つ作品群だけど、丁寧に読んでゆくと、内田師匠の思索の一端に触れることができる、そんな気がする。まさに、師弟関係を疑似体感できる様な。

哲椀では、そんな師弟関係を悪用する存在にもは言及して嘆いているけれども。本当に、そういうことを悪用する輩に、一人一人が出会わないことを切に切に祈りたい。


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