「哲椀」レコメンドリスト 第16椀


ごとうにんシアターポッドキャスト「哲学のお椀」(哲腕)で触れた触れなかったりした作品たち。

第16椀 「どっちもどっち論」の向こうへ(ご視聴はこちらから)で紹介した作品を掲載します。


・バーセル・アドラー、ユヴァル・アブラハーム、ハムダーン・バラール、ラヘル・ショール監督作品映画『NO OTHER LAND』

パレスチナの地での今の惨状は、2023年10月がきっかけではない。侵略しているのはあくまでイスラエルであって、パレスチナの武力抗戦は必要に迫られた抵抗活動であるということは、はっきりとピン留めしておく必要がある。そして、イスラエルが行っているのは人種隔離政策であり、大量虐殺であるということも。これは、色んな所で言われている話だけれど、とても大事な事だから、改めてここでも明記しておく。

こうした不条理が世の中のあちこちで蜷局を巻いている。過去に「僕ら」が「彼ら」だった事もあるだろうし、ひょっとしたら今も何かの領域で「そう」かも知れないし、これから、いつ、別の形で「そう」なるかも解らない。

それらの不条理と自分の生活は原理的に地続きであるはず。他人事ではない。なのだけど、僕らはその繋がりをはっきりと感じ取ることができない事が多い。どうしたら、その繋がりを、強く結ぶことが出来るのだろうか。

そのことを考えている。

そして、どうして、僕はそのことを考えているのだろうか、ということも考えている。

答えはまだ無い。

けれども、そういうことを、考えることは、悪いことではないと思う。

今まで、あまりに考えて来なかった。

そして、何より、考えるためには、「余白」が必要。

イスラエル人であり、この映画の監督でもある、ユヴァルのことを考えつつ。


・ダニー・ネフセタイ『イスラエル軍元兵士が語る非戦論』(集英社親書)

2024年末、ダニーさんの講演を武蔵境で聴講してファンになり、奈良の書店「ほんの入り口」で取り置きしておいて貰った一冊。満を持して読了。

講演の内容を深く掘り下げ、掘り幅も広められている。改めて読んで良かった。兵役終了後、日本に滞在する中で、祖国イスラエルの「在り方」が自身中で、徐々に「相対化」(※)されて行った、その思考の変遷が綴られていて興味深い。配偶者である、かほるさんとの暮らしの中で、おそらく密に重ねられたであろう、日々の対話の存在も大きいのだろうと想像する。

日本は多重国籍を認めておらず、イスラエルでの抗議活動を継続したいダニーさんは日本には帰化しておらず、日本での参政権もない。でも、こうして、参政権を持つ我々に、我々以上の真剣さで、様々な問題を訴えかけ続ける。

彼は、特に日本やイスラエル/パレスチナだけを見据えていない。彼は「人権」という超国家的な概念を見据えている。

人間は「権力」というモノを求める。日々の生活やビジネス、そして政治や経済、色んな場面、色んな種類、色んな大きさで。特に、政治や経済の様な「大きな権力」と「大衆の心理」は、時にコインの裏表の様に結託することがあるのは歴史が示す通り。そして、それらが結託するとき、大抵「人権」は蔑ろにされる。だから、それらが結託しないようにするには、どうすべきか。引き続き考えたい。色々なことをモチーフに。日々、「生活の余白」を保ちながら。

※映画『NO OTHER LAND』の監督でイスラエル人のユヴァル・アブラハムは、学生時代にアラビア語を学び、パレスチナ人とアラビア語で会話を重ねた経験を通じて、徐々に思想の「相対化」が図られたーという趣旨の事が同劇中で語られるシーンがあった。


・松村圭一郎『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)

「構築人類学」という切り口で「世界」を切って語る書。既に構築された強固なシステムを脱構築して再構築することについて語られている。

そのうえで、著者はまずは、「世界」を定義して行くことから始めている。

「世界」を構成している「社会」というものとは何か。

我々の住まう、「社会」は、「経済」と「感情」と「関係」の3要素の網の目で構築されているという。

「経済」の要素には、所謂、経済的な「商品交換」と脱経済的な「贈り物(贈与)」という観点がある。

そして、我々の「感情」は、経済的な「商品交換」においては抑圧される。お金を払ってモノを買う行為は、「感情」が伴わないやりとりとして為される。一方、脱経済的な「贈り物(贈与)」には、「感謝」や「負い目」など、様々な「感情」が伴う。プレゼントや寄付、教育などもこの射程に入る。

また、我々の「関係」は行為(「商品交換」や「贈り物(贈与)」やそれに伴う言葉のやりとり)から生じる。(「関係」から「行為」が生じるという流れではない)

そうして生じた「関係」から、更に「人の在り方」、つまり、「わたし/わたしたち」や「あなた/あなたたち」や「かれ/かれら」などが立ち現れて来る。(「人の在り方」から「関係」が生じるという流れではない)

ここから更に、著者は「世界」というものについて論を進める。「社会」の先には「市場」や「国家」という、巨大なシステムでバランスされ、構成された「世界」が広がっている。

「関係」が束ねられて「社会」が構成されている。「関係」の束としての「社会」は、「市場」や「国家」を構成するが、それは詰まるところ、個々の「行為」という運動の動的な連鎖なのだ。

これは、「縁起」という思想と非常によく似ている。

さて、著者は、ここまで丁寧に定義付けを行ったうえで、終章にて畳みかけるように、「公平さ」(フェアネス)というものについて語る。

ぼくらの「感情」の中に存在する、「負い目」や「感謝」といったものは、言い換えると、ある種の「うしろめたさ」とも言える。

行為を「脱商品化」し、「感情」を連動させることで、「うしろめたさ」という「感情」を捉えて、意識する。

それが、世界の不均衡に明示的な「ずれ」や「すきま」を生じさせ、不均衡な世界に対して、「公平さ」(フェアネス)というバランスを再構築することに繋がるということだろう。

いや、この「終章」が実にアツかった。本著の真骨頂だろうと思った。


・<著者多数>『パレスチナについて考えた日の日記』(13番館)

未読本

友人に教えてもらった一冊。

自分以外の人が、素朴にどのようにパレスチナのことを考えているか知りたくて手に取る。

ゆっくりと、読み解きたい。

以下、本著、紹介文より。

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公募で集まった71名の書き手による「パレスチナについて考えた日」の日記集です。それぞれの場所でパレスチナを想った日々の集積が、お守りのようにはたらくことを願っています。経費を除く売上はすべてパレスチナ支援の寄付にあてます。
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・岡 真理『ガザとは何か~パレスチナを知るための緊急講義』(大和書房)

第3椀にて紹介した1冊。今回も話に出たので再掲。

無関心と忘却と言うものは、いつも私達自身に巣食っていて、気がつけば、それに蝕まれている。

パレスチナについても、そう。

「ガザとは何か」を問うよりも「イスラエルとは何か」ーその建国の背景から、それを成り立たせている政治的な力学を含めて理解する事が必要だと書かれている。

そこには、帝国主義的な植民地と同様、征服者と被征服者の非対称性がある。著者が言うように、暴力や報復の連鎖、という表現は、確かに少し違うのかも知れない。応酬と言うより、明らかに一方的な側面がある。

そして、ガザの悲惨な状況は、勿論、今に始まった訳ではなく、ずっとそこで起き続けてたこと。

目を逸らさずに居続ける事の難しさを嚙み締めつつ、それでも、なるべく目を逸らさずに、忘れずに、日々を生きたい。彼の地で日々を生きる人々のためにも。


・永井玲衣『水中の哲学者たち』(晶文社)


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